歴史に名を残した、美しすぎる世界の女スパイ 3選

スポンサーリンク

映画や小説で美女スパイがハニートラップを仕掛けるというストーリーがありますが
フィクションではなく本当にハニートラップを実行して敵の重要人物を誘惑し
世界大戦時の戦局を左右するほどの実績を挙げた人たちがいました。
今回はそんな美しく強い女スパイを簡単に紹介したいと思います。

ベティ・パック

「シンシア」というコードネームを持つ、イギリスの情報機関であるMI6のスパイ。
大きく優しい青い瞳と悩ましい声、金髪がかった赤毛を持ち
10代のころから背が高く大人びていて、周囲の大人を魅了するほどの容姿の持ち主だった。

スパイの実績

初めて与えられたミッションは、ポーランドの外務大臣だったユゼフ・ベックおよび
ミカル・ルビンスキ伯爵から情報を得るというもの。
セッティングされた外交パーティで2人はすぐに恋人関係になり
ベティは『ピロートーク』(後戯、事後に行われる会話のこと)で得た彼の悩みを報告書に書き出していきました。
そして、ルビンスキからイギリスが数十年間突破できていなかったドイツの暗号機をポーランドがすでに解読していることを突き止めるという功績を残しました。
また、第二次世界大戦時にハニートラップで標的に接触してピロートークで情報を盗み出し
数十年間知られていなかったフランス・イタリアの海軍の暗号を入手するなどの多大なる実績を挙げました。
この働きで連合国が枢軸国をリードすることになり、最終的に戦争の勝利にも貢献したことになりました。

マタ・ハリ

本名は「マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ」
映画にもなるほど世界で最も有名な女スパイ。
本業はダンサーであった。それも国境を越えてヨーロッパ各地で公演を行うほどの有名ダンサーであり、この世界では大成功していた人物。
彼女のファンも多く、各国の政府関係者や軍の幹部とも付き合いがありその人脈を駆使してスパイ活動を行っていた。
処刑の際に隊員はマタ・ハリの美貌に惑わされないよう、目隠しをしなければならなかったほどの美貌の持ち主。

スパイの実績

第一次女世界大戦中において、ドイツとフランスの二重スパイとして活躍していた。
だが、1917年7月24日パリ第三軍法会議で死刑の判決を受けた。
罪状はスパイ活動をしていたこと、および敵国(ドイツ)へ情報を伝えていたこと。
フランス国外で、ドイツの幹部や情報局と直接連絡をとっており1916年の5月以降、彼女はスパイ活動に対して、ドイツ側から多額の報酬を受け取っていた。
これらの物的証拠を示され彼女は全ての罪状を認め全員一致で死刑判決が出され処刑された。

川島芳子

川島芳子(かわしまよしこ)という名前は川島家の養女となった時つけられたもので
実際は中国人で、満州皇族の娘であり、生まれた時は愛新覚羅顕シ(あいしんかくら けんし)といいました。
8歳のとき、日本のスパイ川島浪速の養女となり、生みの親の死後、東京にやってきました。
目を引くほど美しく、バイセクシュアルな魅力をもっており断髪し男装するようになった。
断髪した直後に、女を捨てるという決意文書をしたため、それが新聞に掲載された。
芳子の断髪・男装はマスコミに広く取り上げられ、本人のもとへ取材記者なども訪れるようになり『男装の麗人』とまで呼ばれるようになった。

スパイの実績

1931年に満州事変が起こり満州国が建国され、清朝皇帝が満州へ脱出。
この時、芳子は皇后を満州へ脱出させた。
また、上海事変のきっかけとなる上海日本人僧侶襲撃事件を引き起こしたといわれる。
1945年、日本が敗戦となり満州も消滅し、中国国民党から日本側の協力した「漢奸」(かんかん)として逮捕され、国共内戦の中で死刑に処せられた。

スポンサーリンク
Pocket
LINEで送る

いいね!フォローで最新記事をお届けします

最新情報をお届けします