ヒトラーをだませ!第2次世界大戦中に行なった すごすぎる作戦とは!?

1943年 ロンドンの倉庫の片隅で1人の男が

貧しさでどうにもならなくなった末、自ら他界をしました。

しかし、人知れず孤独な死をとげたその男は

そう、第2次大戦の勝敗を左右した作戦の主役となったのだ

そんな死体が大活躍した。すごすぎる作戦「ミンスミート作戦

その全貌を少しコミカルに紹介したいと思います!

ヒトラー率いるナチスドイツはイタリアと同盟

1943年当時、ヨーロッパの大部分を事実上支配していました。

そんなドイツに対抗するためイギリスとアメリカの連合軍が考えたのが

「敵の同盟国であるイタリアのシチリア島への侵攻」

シチリア島は地中海の交通の拠点。さらにイタリア本土に侵攻するための強力な足がかりともなる。

しかし、シチリア島が狙われていることはドイツ軍も分かっており

万全の防衛体制を整えていたのです。シチリア島は

で守っていた。そこへ攻め入っても大苦戦は目に見えていたのです。

そこでイギリスの情報部がドイツ軍をだまそうと考えました。

攻撃しようとしているのは ”シチリア島ではなく当時ドイツの支配下にあったギリシャ” だとドイツ軍に思わせようとしたのです。

そうすればドイツ兵の多くはギリシャに移動。

そのすきにシチリア島に攻め入ることができる。

その任務にあたったのが

空軍大尉のチャールズ・チャムリーと海軍少佐のユーエン・モンタギュー

2人は情報部の棚に眠っていたある変わったアイディアを実行しようと考えた。

それは死体にイギリス軍の軍服を着せ
シチリア島ではなくギリシャを攻めるというニセの作戦書類を持たせ

その死体をどこかの海岸に漂着させドイツ軍に見つけさせる。

そして、ヒトラーがニセの作戦を信じればシチリア島からギリシャへ軍隊を移動させるに違いないというものでした。

このアイディアを提出していたのは情報部で働いていた

若き日のイアン・フレミングでした。

しかし、いきなり問題発生

ぴったりの死体が見つからなかったのです。

戦時中とはいえそんな死体はなかなか見つかりません。

そんな時、ロンドンのさびれた倉庫の中で1人の男性が息を引き取りました。

グリンドゥール・マイケル(34)です。マイケルは田舎からロンドンに出てきたが仕事を見つけることが出来ず失意の中で亡くなりました。すでに両親を亡くし身寄りない彼は作戦に必要な条件を全て備えていました。

死体安置所から連絡をうけたモンタギューとチャムリーはマイケルをイギリス軍将校に仕立て上げることに。

そしてドイツ軍にニセの将校だとバレないよう人物像を作っていきました。

2人はマイケルに「ウィリアム・マーティン」という新しい名前を用意。イギリス海兵隊の少佐で重要な作戦が書かれた機密書類を託されるほどの有能な軍人ということにしました。

まず、マーティン少佐に持たせる身分証明書用の写真を撮影。

何回撮っても死人にしか見えません。そこでモンタギューはマーティン少佐に似ている人を探し回り、そっくりな男性を見つけ写真を撮らせてもらいました。

さらにマーティン少佐の人物像をより具体的にするため、銀行に借金の督促状を書いてもらい遺体に持たせることにしました。また、買い物のレシートやバスの乗車券なども持たせ生活感を演出。

すると2人は・・

2人はマーティン少佐に恋人の写真を持たせることにしました。

そこで密かに関係各所から女性たちの写真を集めて、秘密の美人コンテストを開きました。

そこで選ばれたのが陸軍の秘書だったジーン・レズリーの写真

出来上がっていくマーティン少佐の人物像。

すると、2人の悪ノリはさらにエスカレート!

彼女にパムという名前をつけマーティン少佐にパムからのラブレターを持たせたのです。

こうしてマーティン少佐の人物像が完成し、これまでに揃えた物を軍服のポケットや財布、ブリーフケースに入れました。

あとはマーティン少佐をどこに漂着させるか。

2人が選んだのは中立国スペインの沿岸。当時のスペインは軍事政府で中立国と言いながらも軍や政府にドイツに親しい関係者が多く、ドイツ軍のスパイも数多く潜伏していました。

彼らがニセ文書の情報を知ればきっとヒトラーに伝わるに違いないと考えたのです。

マーティン少佐は特別な容器に入れられ、潜水艦に乗せられた。

いよいよ作戦開始

1943年4月30日 明け方、スペイン南岸に到着。ここでマーティン少佐は海へ。

ニセ文書を入れたブリーフケースは防犯用のチェーンで体につなぎ

あとはスペイン沿岸に無事に漂着し、ドイツ軍にニセの情報が伝わるのを待つだけ

果たして・・

数時間後、マーティン少佐の遺体はスペインの地元漁師に引き上げられた。

そして医師たちによって検死が行われポケットや財布の中も調べられた。

すると医師たちは遺体の死因を溺死と診断。ブリーフケースは中を開けられることなくスペイン軍に預けられました。

だが、ここで思わぬ大誤算が!

ナチスドイツにあっさり情報を流すと考えられていたスペイン軍がなぜかこの時に限って

律儀にブリーフケースをそのままイギリスに返そうとしたのです。

そうなれば作戦は大失敗。万全の体制で待ち構えるドイツ軍と真っ向にぶつからなくてはならなくなる。

しかしここでドイツの大物スパイが動き始めました。

その男の名前はカール=エーリヒ・キューレンタール

彼はあらゆるつてを駆使してブリーフケースの中のニセ機密文書を手に入れました。

そして、その内容を全く疑いもせず信じたのです。

優秀なスパイであったキューレンタールがなぜあっさりとニセ文書に飛びついたのか、というと

実はキューレンタールの祖母はユダヤ人で手柄を上げ続けなければ一族もろとも収容所送りになりかねなかったのです。そのため彼は連合軍が実はギリシャを狙っているという大嘘に飛びついてしまったのです。

キューレンタールは本物の情報だと太鼓判を押した状態でニセ機密文書の写真をドイツ本国に送りました。

果たして、ヒトラーはこの情報を信じるのか。

1943年5月 イギリスの暗号解読班はドイツ軍の通信を傍受。

そこではドイツ軍の司令官たちに「連合軍のギリシャ攻撃に備えて移動せよ」という命令が出されていました。そう、

ヒトラーは完全に騙された

シチリア島防衛のために待機していた部隊をギリシャへと送ったのです。

1943年7月10日 連合軍は16万人の兵力を持って、シチリア侵攻を開始。

手薄になっていたシチリア島はわずか1ヶ月程で陥落

これをきっかけにドイツ軍は各地で不利な状況に追い込まれていったのだ。

スペイン南岸の街 ウエルバの墓地


ここにマーティン少佐こと「グリンドゥール・マイケル」が眠っている。
刻まれた生年月日も亡くなった日付も全て架空のものだが

1998年 ひとつだけ本当のことが書き加えられた。

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