風船で空を飛んだ日本人 ファンタジー号事件

 

今回紹介するのは「風船おじさん」こと鈴木嘉和(すずき よしかず)さんの実話のお話。

ピアノ調律師一家に生まれた鈴木嘉和さんは、ピアノ調律業を営んでいた。44歳の時に音楽教材を販売する会社、ミュージック・アンサンブルを起業。

その後、数々の事業を起ち上げるが、全て失敗に終わり5億円の負債を抱えてしまった。

そして、なんとこの男は「空を飛んで借金を返そう」と考えたのだ。

これが後に事件となった、『ファンタジー号事件』である。

 

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初めての風船飛行

1992年4月17日 「府中の多摩川から千葉の九十九里浜を目指す」という計画を立て、初めての風船飛行が行われた。もちろん警察に止められたが、それらを振り切り飛行を断行。5メートルと2.5メートルの風船を各2個くくりつけた椅子に乗って大空へと舞い上がった。


※画像はイメージです

しかし、椅子に付けていた重石の紐が切れてはずれてしまい、予定の高度を大きく越えて上昇してしまった。風船おじさんは、百円ライターで5メートルの風船の紐をあぶって切り離し調整。その後、高度が下がり出発地点から24キロメートル離れた大田区の民家の屋根に不時着した。

風船おじさんは左手に軽傷を負う程度で済んだが、不時着された家は、屋根の瓦が割れ、テレビアンテナが曲がってしまった。だが、風船おじさんはその被害者宅に謝罪及び弁償は一切なかったという。

しかも、警察の人には謝罪しつつも、「成功してれば次はハワイを目指す予定だった」と語り、リベンジに燃えていた。

 

ファンタジー号事件

借金返済のため飛行成功させれば、冒険家として名が知れるようになりCM料で借金が返済できると考えた。

1992年11月23日 風船おじさん当時52歳。

ヘリウム入りの風船をたくさんつけたゴンドラ『ファンタジー号』に乗り、琵琶湖の湖畔で飛行実験を行なった。予定では200メートルから300メートル上昇するだけの簡単な実験のはずだった。


当時の写真

しかし、120メートルまで上昇し一旦地上に降りたが、少し経ってから係留していたロープを外して、風船おじさんは飛び立っていってしまった。
大学教授が「どこへ行くんだ」と尋ねると「アメリカですよ」と答えた。


当時の写真

実は、風船おじさんは密かにアメリカまでの飛行の強行を考えていたのだ。

周囲が止めるのを聞かずに飛んでいってしまった風船おじさん。一応ゴンドラの中にはアメリカまでの横断を想定した荷物が積んであったとのこと。

風船おじさんの計画では、このままジェット気流に乗れれば、40時間でアメリカに到達する予定となっていた。

 

翌日、携帯電話から「素晴らしい朝焼けだ!きれいだよ!」と、妻へ連絡


画像はイメージです

「行けるところまで、行くから心配しないでね」と、その電話を最後に以後不通となった。

 

24日深夜にSOS信号が発信され、25日の朝方に宮城県金華山沖の海上で飛行中のファンタジー号を確認した。

風船おじさんは捜査機に向かって手を振ったり、座り込んだりするなどして、SOS信号をやめた。それから捜索機は3時間ほど監視していたが、手を振ったり、ゴンドラの中のものを落して高度を上げたり、遭難信号も消えたために飛行継続の意思があると判断して追跡を断ち切った。

その後、SOS信号は確認されておらず、到着する可能性のあるアメリカとカナダとロシアに救難要請を出した。

しかし、到着しておらず 消息が不明

その後捜索したが発見されることはなく、消息不明のままとなった。

 


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せかch